足立正生は革命においてシュルレアリストである

自由というただひとつの言葉だけが、いまも私をふるいたたせるすべてである。(アンドレ・ブルトン)

日 時:2017年6月3日(土)19:00~20:30(18:30開場)
場 所:素人の乱12号店|自由芸術大学
杉並区高円寺北3丁目8-12 フデノビル2F 奥の部屋
資料代:500円+投げ銭(ワンドリンクオーダー)

スピーカー:足立正生(映画監督)
聞き手:京谷裕彰(詩人/批評家)

シュルレアリスムという言葉を聞いて多くの人が思い浮かべるのは、サルバドール・ダリの柔らかな時計が描かれた『記憶の固執』でしょう。しかし、そのモチーフの特異さに惑わされてはならないのです。その絵が描かれたという「スキャンダル」をこそ見なければなりません。「スキャンダル」とは「コンセンサス」に抗うことに他ならない。シュルレアリストたちはスキャンダルにより現実を超えようとし、人間と社会の革命を要求したのです。
運動としてのシュルレアリスムはブルトンの死とともに終焉したともいわれていますが、現在においても足立正生氏はシュルレアリストであり続けています。今回のレクチャーでは足立正生氏がシュルレアリストとして、どのように映画製作と関り、なぜパレスチナ解放人民戦線や日本赤軍と共に行動したか、そして今現在もシュルレアリストであり続けることについて、関西圏で活動するシュルレアリスム詩人/批評家の京谷裕彰氏を聞き手に語っていただきます。

「けれども私たちは、どんな濾過作業にも身をゆだねることなく、私たち自身を、作品のなかにあまたの谺をとりいれる無響の集音器に、しかも、それぞれの谺のえがく意匠に心をうばわれたりはしない謙虚な記録装置にしたててきたからには、おそらくいまも、彼らよりいっそう高貴な動機に奉仕しているはずである。」アンドレ・ブルトン『シュルレアリスム宣言』


足立正生:1939年生まれ。1959年、日本大学芸術学部映画学科に入学。新映画研究会、VAN映画科学研究所を設立する。1964年飯村隆彦、石崎浩一郎、大林宣彦、高林陽一、金坂健二、佐藤重臣、ドナルド・リチーらと実験映画製作上映グループ「フィルム・アンデパンダン」を結成。同年、ハイレッド・センターが帝国ホテルで行った「シェルタープラン」で、ナムジュン・パイク、小野洋子らと人体計測される。1966年、若松プロダクションに加わり『堕胎』で映画監督として商業デビュー。1969年ピストル連続殺人事件の犯人、永山則夫のドキュメンタリー『略称 連続射殺魔』制作。この映画は5年間公開されなかった。1971年パレスチナへ渡り、パレスチナゲリラと共闘しつつ『赤軍-PFLP・世界戦争宣言』を製作。1974年には重信房子率いる日本赤軍に合流、国際指名手配される。1997年にレバノン・ルミエ刑務所にて逮捕抑留。2000年3月刑期満了後、日本へ強制送還。2007年に映画製作を再開し『幽閉者テロリスト』、2016年に日韓合同映画『断食芸人』を発表

京谷裕彰:1972年、兵庫県生まれ。詩人、批評家、インデペンデント・キュレーター。詩誌『紫陽』元編集発行人。詩誌『EumenidesⅢ』同人。1990年代から歴史学、社会学、文学などを通じて様々なムーブメントにコミットし、ゼロ年代後半からは文学と美術を越境・往還しながら〈美学〉と〈政治〉をめぐる思索と実践を展開している。
ドキュメンタリー映画「ダダッ子貫ちゃん」(竹村正人監督)にて糸井貫二(ダダカン)氏と対談(2011年)。批評ブログ「亰雜物的野乘(きょうざつぶつてきやじょう)」(2010年~)。最近の論考に「交わりの重なりから夢想の回帰へ」(『現代詩手帖』2014年7月号「特集:詩からアートへ/アートから詩へ」)、「シュルレアリスムの二十一世紀」(『EumenidesⅢ』47~49号、2015年)など。若手平面作家の営為から現在形としてのシュルレアリスムを窺うグループ展「私、他者、世界、生 ―現実を超える現実―」(2016年、コンテンポラリーアートギャラリーZone)をキュレーション。ダダカン(糸井貫二)Facebookページ管理人。