第二回 加藤一夫『民衆芸術論』を読む

次回、5月の読書会は5月31日(水)になります。

5月31日(水)の自由芸術読書会は、前回読んだ加藤一夫『民衆芸術論』の「民衆は何処に在りや」「民衆運動即自省更生」「民衆芸術の意義」の続き、「民衆芸術の主張」「民衆芸術の精神」を読みます。資料はコピーしていきます(コピー代実費)。事前に目を通しておきたい方は国会図書館デジタルコレクションをご覧ください。

はてしなくさまよいゆく自分の心霊は今、民衆のための、民衆の、民衆の所有する、真の民衆の芸術の要求に目ざめた。実際今世界を通じて、新しい人民は生まれつつある。既に生まれ、また、生まれようとして居る。そして彼等は、その苦しい悩みを、その止みがたい要求を、その制しきれぬ心の激動を、彼等自身の霊をもって、彼等自身の芸術によって表白せん事を希求してやまない。
これが自分をして民衆芸術を叫ばしめた重大なる動機である。
自分はこれを纒った著者として発表したいと思っていた。しかし自分の生活は中々そうした時の余裕を与えてくれぬ。そこで、洛陽堂主河本氏のすすむるままに、当時、民衆芸術についてなしえた論争をそのまま本にした。論争の中には、感情に走って、つい失礼な言辞をその代者になしたこともあるが、早卒の際で、それも改める事が出来なかった。自分は茲に幾重にも自分の無作法を謝しておくものである。
「民主主義に関する考察」「生活に関する考察」「トルストイに関する考察」「詩情断片」凡てみな最近一二年間の自分の収穫である。
自分は此の間に、精神上及び生活上に可なり深い苦悶をつづけた。で、その収穫も割合少なかった。しかし、自分は今、新しい思想を獲得した。自分を愛してくれる読者のために、自分は更によきものを提供し得るの近きに在るを信ずる。

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